トヨタ自動車の純利益2兆円達成までの道のり

トヨタ自動車の純利益2兆円達成までの道のり

 

単一自動車メーカーとして日本最大の企業となった “TOYOTA”。

 

そのトヨタ自動車も、もともとは1933年に豊田自動織機製作所内に開設された一部門(自動車部)を起源としています。

 

この自動織機製作における鋳造・機械加工のノウハウを活かして1935年にG1型トラックを発表し、1936年には同社において初の量産型自動車であるAA型乗用車発表したのです。

 

戦争中は帝国陸軍向けのトラックを中心に、少数ですがAA型乗用車や派生モデル等も生産していました。

 

 

 

 

敗戦〜危機〜復活

 

しかし、第二次世界大戦が終戦を迎えるとデフレによる経営危機に陥り、1950年には実質的な創業者の第2代目社長だった豊田喜一郎氏は辞任し石田退三氏が後を継ぐことになりました。

 

3代目社長となった石田退三氏の時代には「クラウン」「コロナ」「パブリカ」「ダイナ」といった、以降ロングセラーとなるモデルが次々と開発され販売網も強化されていきます。

 

そして4代目社長 中川不器男氏の時代には「カローラ」「ハイエース」「2000GT」など、日本を代表する車種が誕生することとなります。

 

 

国内自動車販売第一位を不動のものに

 

5代目社長となった豊田英二氏は1980年にビスタ店を設立。

 

トヨタ店・カローラ店・オート店・トヨペット店とともに販売5チャンネル体制を確立させたのです。

 

1982年にはトヨタ自動車工業が合併し、現在のトヨタ自動車株式会社が設立され、新社長には喜一郎氏の長男である豊田章一郎氏が就任します。

 

80年代には「エスティマ」「セルシオ」「ウィンダム」といった次世代を担うモデルを登場させ、トヨタ自動車の国内販売高1位の座を不動のものとしたのです。

 

 

 

レクサスブランドの誕生

 

国内での人気を固めたトヨタは、1989年に自動車大国であるアメリカを主要マーケットにした高級ブランド「レクサス」を立ち上げます。

 

当時の日本車には“壊れないが安物の大衆車”というイメージが強ありました。

 

そのため「レクサスは成功しない」といわれていましたが、ドイツ製高級車に匹敵する品質と日本車の高い信頼性を両立させ、最高の接客とアフターフォローによってレクサスは好評をもって迎えられました。

 

 

 

環境先進企業イメージの確立に成功

 

バブル経済が崩壊すると自動車業界が低迷し、トヨタの業績も下り坂に。

 

しかし、当時の社長である奥田碩氏は積極的に海外販路を拡大させ、1997年には世界初となる量産ハイブリッドカーである「プリウス」を登場させたのです。

 

プリウスの登場はトヨタに環境先進企業のイメージを定着させることになり、2007年には世界販売台数が過去最多の936万6418台となりました。

 

そして、2015年には販売台数1000万台を超え日本企業として初の純利益2兆円を達成したのです。

 

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